1976~1978年補遺

吉田秀和の連載が最終回となる芸術新潮1976年8月号と翌月号に、梅原猛が三橋節子の評伝を書いている。どちらも一挙200枚という異例の分量で、たぶん梅原の持ち込み記事だと思う。

古代史ブームの1970年代とは、思えば、「発見/発掘」の時代だったのかもしれない。埋もれていたものを掘り起こし、その「発見/発掘」を手がかりにして、在りし日の物語を壮大に紡ぐわけです。私自身が歴史好きなのも、そういう時代に育ったから、なのかもしれませんが、1978年10月には、朝比奈隆と大阪フィルが甲南高校で貴志康一の作品を戦後初めて演奏しているんですよね……。

1978年9月号には、「アートとしてのカーデザイン」という風な記事が出る。スーパーカー・ブームというのがあったのです。自動車といえばマイホーム主義だが、高級車を好む「今太閤」な趣味というのもあるわけで、そういえば、どうしてああいう奇妙な流行があったのか、何かもっとうまい説明が可能なのだろうか?

さらに同じ号では、武満徹と磯崎新が、パリで日本展の企画を依頼されたというので対談している。「ミュージック・トゥデイ」が軌道に乗り始めていた頃の「プロデューサーとしての武満徹」が、日本の「間」とか言っている。バブルへの序奏、という感じもあって、何か白々しく思えてしまうのは否めない。

で、1978年というのは、NHKの大河ドラマが城山三郎原作、市川森一脚本の「黄金の日日」だったんですよね。