中村紘子と戦後日本のコンチェルト

そういえば、井上道義の指揮で後半がブルックナーの8番だったと思うけれど、東京交響楽団の定期演奏会で中村紘子が矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾くのを聴いたことがある。たしかこの曲は、彼女が初演したはず。1967年の作品だから、まだ23歳のときですね。

戦後の日本のオーケストラ奏者の出自は玉石混合で、前のめりに新作や難曲に次々挑戦するのだけれども技術が追いつかない状態だったときに、園田高弘や江藤俊哉を皮切りに昭和の英才教育の成果と言うべき若手ソリストが次々出てきて、前衛作曲家たちは、彼らのために1960年代に積極的にコンチェルトを書いた。N響世界ツアーに同行したりもした中村紘子は、ヴァイオリンの海野義雄、チェロの堤剛とともにその代表だったようですね。

1970年代以後、日本のオーケストラの演奏が安定していくのは、世代交代だけでなく、一方に小澤征爾、岩城宏之のように行動力のある指揮者がいて、他方にソリストであるがゆえにフットワークの軽い器楽奏者たちがいて、こういう人たちがオーケストラという気むずかしい集団に刺激を与え続けた効果という面があるんじゃないだろうか。

(指揮者とソリストが色んなことをやってオケの人たちを右往左往させた、という風にも言えるだろうけれど……。)

コンチェルトはヴィルトゥオーソによる自作自演のジャンルとしてバロックからロマン派の時代に栄えたし、日本でも戦前や敗戦直後には、鳴り物入りで来日した有名演奏家の興行が話題になったようだ。

でも、常設楽団によるシンフォニーコンサートが定着すると、指揮者とソリストが組んでオーケストラに何かを仕掛けるジャンル、という風に微妙に力点が変わったように見える。そしてこれは、日本の「オーケストラの歴史」にとっても、見過ごすことのできないトピックかもしれませんね。

オーケストラがやって来た DVD-BOX

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この番組のいくつかの企画は、1970年代後半の日本で指揮者とソリストがオーケストラを引っ張っていた感じをよく伝えていると思う。子供の頃、リアルタイムに見て、そういうものか、と思ったものだった。