柴田南雄は「全部集めて数えなさい」と言った

東京芸大楽理の柴田南雄の指導とは、そういうものであったらしい。

あるテーマに関連する資料を全部集める、というマクロなレヴェルでもそうだし、この曲のなかで減5度音程が何回使われているか、というミクロな楽曲のレヴェルでも、そういう風に躾けたらしい。

本人のいわゆる「理系的」な思考、ということもあるだろうが、哲学や文明論の大言壮語に陥りがちな人文科学系の音楽語りへの反発は、音楽大学の音楽研究を総合大学のそれと差別化して育てる上で有効だったのだろうと思う。

総合大学で学んだ者には、「木を見て森を見ない」態度に思えたし、実際、弊害があったとは思うけれど(そういうタイプの「研究者」に批評やエッセイや解説をリクエストしても、いまいち気の利かない文章しか書けなかったり、とか)、でも、基礎資料の整備や、社会科学的な調査につながる強みがあった。

小野光子さんが武満徹全集という小学館の企画で担当していたのは、まさしくそういうタイプの仕事だし、「本格的な評伝」はその延長なのでしょう? だったら、その著書を売ろうとする担当者は、武満徹に関する著作を、まず「全部集めて数える」ことぐらいやらないと、著者に失礼ではないか。まるで、著者の小野さん自身が、そういうことをやらずに自著が「史上初である」と言い張るダメな研究者のように見えてしまうじゃないですか。

よかれと思っていいかげんなことを言うバカの匙加減が、なんだかとっても、ダメなSNS発言っぽいです。

(楢崎さんの武満研究は、亡くなる直前の岩城宏之に公然とdisられて、私は京都コンサートホールの現場でその岩城発言を聞いているが、それでもあれが「最初」なのは否定できない事実だし、何度も書くが、あれを出したのはそちらの会社ではないですか。)