1980年の糸井重里の知名度

芸術新潮1980年11月号が「アートとしての広告」ということで糸井重里のインタビューを取っている。この人が西武の広告を手がけるのはもう少し後(「おいしい生活」は1983年)で、NHKでテレビの司会をするのも1982年からだけれど、1980年には、既に知る人ぞ知る存在だったのだろうか。ウィキペディアを見ると、1978年に矢沢永吉「成り上がり」の構成編集、1979年に沢田研二「TOKIO」の作詞、という経歴が出ているけれど。