テレビと芸術

1980年代の芸術新潮にパク・ナムジュンのビデオ・アートを紹介する記事があるのだが、これは、この雑誌が久々にテレビに接近した瞬間だと思う。

創刊当初は放送に着目して、まずはラジオを毎号論じて、テレビも開局から10年くらいはフォローしている。

1970年代終わりから「音楽」を見限ったのとは逆に、芸術新潮が放送から撤退したのは、放送が善くも悪くも独自の領域として「独り立ち」したということだろうと思う。

ただし、放送をアートから切り離す判断が芸術理論的な何か(アートとアートならざるものを見極める基準)を指し示しているか、というと、これはよくわからない。のちに「音楽」を切り離したときと同様に、放送業界への取材が、アート業界の取材とは必要とされる態勢が大きく違ってきて不可能になった、ということかもしれない。

逆に言うと、(当事者の「言説」の分析から理論を組み立てるべきだ、という主張があるけれど)「言説」を編成するエンジンは感性的な差異なのか、メディア論的な何かなのか、それとも、業務上の困難がその「言説」をそのような姿にしているのか、そう簡単には判別できないということだ。当たり前だが。

「昭和」はとうの昔に終わっているが、「1980年代的なもの」と「昭和的なもの」の関係について、私たちには、まだよく解きほぐすことができずにいることが色々ある。