「戦国武将に学ぶ経営術」の起源

「戦国武将に学ぶ経営術」、ビジネスマンが信長・秀吉・家康のホトトギスの川柳に会社経営をなぞらえる、というような歴史との接し方は、どこに起源があるのだろう。プレジデントを創刊号から順に見て、日本初の海外との提携ビジネス情報誌がどのように「戦国武将」を導入するか、たどれば何かがわかるだろうか。

こういうビジネスマンの歴史談義は、古代史への関心(邪馬台国はどこか?とか、古代王権論とか)とリンクしているのだろうか、リンクしていないのだろうか?

芸術新潮が1973年から古代史・日本の再発見にシフトして、80年代になって書画骨董への投資を準備する流れの背景として、ビジネスマンの歴史観(歴史の教養)がどういうものなのか、一定のイメージを得ておきたい、というのがひとつ。

もうひとつは日本の史劇、芸術・芸能が歴史をどのように表象してきたのか、ということ。

歌舞伎の「世界」については、それこそ、「戦国武将に学ぶ経営術」花盛りでパックス・トクガワーナだったのかもしれない80年代に研究者の方々の丁寧な説明・論考が色々出ている雰囲気で、時代劇映画は90年代以後の和製フィルム・スタディーズの大事な資産になっているようですが、テレビの大作歴史劇はどう考えたらいいのか。舞台の史劇は、どういう位置にあるのか。

東京に国立の歌劇場ができて、こけら落としに団伊玖磨がヤマトタケルを主人公とする祝祭劇を作ったわけだが、「音楽の国」のコスモポリタニズムを夢見ていた「音楽」な人々(吉田秀和を含む)から非難囂々だった。「女性スタッフが入り、女性読者をターゲットにするようになった」とされる1990年代の芸術新潮は、この一件も華麗にスルーしたのだろうか?