ダブルキャスト/2日公演

びわ湖ホールのドン・キホーテは、2日目のキャストが細かいところまで演出の設定をよくこなしていましたね。(その分、この演出プランの弱いところも見えた気がする。2日目を逃したのは、皆さんのお目当てだったのであろう若手演出家さんをどう評価するか、という点でも、肝心なことを見逃したことになるのかも。)

東京から日帰りで来て初日だけ見て帰った方々には、それ見たことか、と思うわけだが、ここは礼儀正しく「惜しいことをしましたね」とだけ言っておく。世の中はあなたたちの都合で動いているわけではない、ということを忘れると、ジャーナリズムは腐りますね。

世の中をあなたたちの都合にあわせて動かす、というのが無理であることもほぼ明らかになりつつあるわけですから、そろそろ目を覚まさないとね。

(大フィル500回定期も2日目のほうがいい出来でしたが、これは、あらかじめ関係者が打ち合わせて、NHKは2日目を収録したらしい。雑な取材しかしない有象無象と丁寧に取材する人たちの「格差」が露わになりつつあるようです。)

しかし、少し前までは海外取材とか音盤レビューとかを主にやっていた人たちがにわかに「地方」へ繰り出す東京の音楽ジャーナリズムの人事異動は、いったい何が原因なのでしょう?

「地方」の日帰りだったら辛うじて足は出ない(海外取材より赤字が少ない)から、喜んでやらせてください、みたいなことになっているのだろうか。

江戸時代末期に上方の人形浄瑠璃が苦境に陥った時期に人形遣いや太夫が「地方」に拡散して、それで各地に人形芝居やからくり人形が伝わっている、という事情があるらしい。

それは、いかにもありそうな世の移ろいではあるけれど、東京で仕事にあぶれた人たちを、雑誌の編集部がみずから差配して「地方」に派遣する、というのは、何なんですかね。そんなものを押しつけられた「地方」も迷惑だろう。

既に経済の主流では死語になりつつあるゼロ年代の言い方をすれば、東京の音楽ジャーナリズムは、いま、「下流志向」だったりするのでしょうか? 書かれた内容のみならず、産業構造・不景気への陥り方までもが時代遅れであるとしたら、これは相当情けない。