近代集落としての「農村」

新潟が米所になったのは、総力戦総動員下の大規模な治水・灌漑事業の結果であるらしい(ブラタモリ情報)。九州の農村も、おそらく似たような経緯で今日に至っているのではあるまいか?

「失われた20年」の大都市での闘いに疲れた中高年がノスタルジックに語る「田舎」や「地元」は、総力戦総動員を土台とする高度成長の成果であり、都会の斜陽化した重化学工業地帯と同じような「近代の遺構」なのかもしれない。

「田舎」や「地元」への郷愁は前近代に届いていない。それは、せいぜい、高度成長の豊かな実りを収穫する「日本の秋」、70年代のディスカバー・ジャパンな「いい日旅立ち」を懐かしんでいるに過ぎないのではないか。

(「俺、安保反対運動とかやってるんだ」と言うと地元の親戚たちに鼻であしらわれる、というのは、別に、「田舎」が「都会」とは別の価値観で動いている、というのではなく、都会の親戚たちの集まりであっても、反応はたぶん同じだと思う。)