思弁と実証

speculation は底なしの懐疑を言葉として外化/表明し、一方、positivism は底なしの懐疑を物として外化/展示する。おそらくこの2つは、ホモ・ルーデンスの遊戯/退屈の2つの出口と言えるのではなかろうか?

(意訳:Pを定時モニタリングしながら資料を黙々と整理する一日)