蘇る勤労

定時に通勤通学する人は、毎日同じ時刻に同じ場所を通る可能性が高いので、Pの規則性に気付きやすい(もしくは気付くことなしにPの規則性とふれあっている)のかもしれない(家族の定時の通勤通学をサポートする家庭の方々も同様に)。

……というようなことを、夕方の近所のバス停のPな方々(あそこは3匹出るんだよね)を眺めながら思った。

そういうのが必然の世界の景色だとしたら、自由人であるにもかかわらず定刻に散歩したと言われるカントみたいな人の意識の領野には、何が偶有的で何が規則的なのか、ということが現象していただろうから、そういうのを「第二の自然」と呼ぶことになったりするのかしら。

まあ、いずれにしても、必然の世界に棲みながら自由人を装う虚偽意識はタチが悪くてかなわんよなあ、と、柄にもなくフランクフルト学派めいたことを思ったりもするわけだが、所詮「蘇る勤労」は駄洒落である。