私は山田和樹の話をしているんだけど、あなた、山田和樹を知らないし、聞いたこともないでしょ。それじゃあ、話はかみあわないよ。
リズムを規律と捉える考え方があって、この考え方を成り立たせるために、音程・ピッチのほうも「絶対音感」というもうひとつの規律へと再編成する、という規律の連鎖を作動させる音楽観を、私はとりあえず「斉藤秀雄的なもの」と呼び、山田和樹は、そのような規律の連鎖を抜けたところに音のコミュニケーションを成立させようとしているところが面白いと考える。これが、私の立論です。
トンチンカンなリアクションに対して、この議論の提案者である私が苛立つのは、「囚人のジレンマ」とは何の関係もないディベートの遂行に過ぎません。
私は、何か間違ったことを言っていますか?
今や新しいゲームとしてクラシック音楽がやり直されつつあるのに、コンサートに行かなくなって久しい一部音楽学者たちは何も気がついていなくて、ダッセーなあ、ということです。
[ちなみにこれは、若手有望として某ゲーム学者から期待を寄せられているのかもしれない某オールドスクール映画研究者氏が悶々としながら批評に期待しているらしい「暴力的な要約」の生産力のささやかなサンプルのつもりなんですけど、気付いてますか(笑)。]
パーヴォ・ヤルヴィがN響の指揮者になってやろうとしていることも、この枠組で面白がることができるはずで、こちらは有り難いことにテレビで毎回中継されているのに、あんたら、これすら見てないでしょ。
ゼロ年代な裸の王様が「協力」を説いても、子どもは耳を貸さないかもしれないよ。私は、日本のリベラルを標榜する人たちが規律主義を志向する奇妙なねじれの「人文」ヴァージョンを批判しているのです。
こういうタイミングだからこそ、1960年のN響ワールド・ツアーが大々的にCD化されたりする動きを変なナショナリズムに接続しない舵取りが求められる。
NHK交響楽団 世界一周演奏旅行 1960 (8CD) [日本語帯・解説付]
- アーティスト: NHK交響楽団,Various
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