シャルパンティエと服部隆之

大河ドラマの1年分の膨大な数の劇伴はスタジオミュージシャンが演奏しているが、タイトルバックのテーマ音楽だけはNHK交響楽団が担当する。戦国武将たちがここ一番でハロウィンの仮装のように仰々しく派手派手しい甲冑を身にまとうのに匹敵する晴れ舞台である。

しかし、いやだからこそ、無数のヴァリエーションではなく、下野竜也が指揮したフルオーケストラの「あの」サウンドトラックがドラマ本編で鳴り響くときには、関ヶ原ではなく真田一族が守る上田城が画面に映し出されているのが正しい。そうでなければ筋が通らぬ。(関ヶ原は来週、回想としてやるのだろうから、それでいいじゃん。)

フルオケ・ヴァージョンは、おそらく3ヶ月後に再び鳴り響くことになるのだろうけれど、そのとき何が画面に映し出されることになるのかと思うと、今から胸がドキドキしてしまう。これが音楽(のある)劇のドラマトゥルギーというものだろう。

この音楽を背負って勝ち誇る草刈正雄から、戦勝の喧噪と言葉少ないサスケのコントラストへ、という今回の音響設計は実に見事なスタッフワーク(こういうのが語の本来の意味での「協力・コラボ」です)だったわけだが、『中学校のシャルパンティエ』の著者が、これを「アホか」の一言で片付けてしまうというのは、現代日本の聴覚文化が病んでいる齟齬について、何事かを告げているのかもしれない。8ヶ月何を「聞いて」きたのか。これは高校標準日本史の通信教育講座じゃないよ、という話である。気の利かない若手のヴァイオリンとか、後味の悪いうねうねなピアノとかがヘビーローテーションされる苦行・屈辱に私達が毎回耐えてきたのは、この晴れやかな瞬間のためではなかったのか(笑)。少なくとも、小谷野敦がオペラ評論に進まないのは正解であった、ということは言えそうだ。

(効果音・音楽はすべて切った状態で遊んでいるわけだが、時間をかけて準備して、ワンちゃんがここでいよいよ他をごぼう抜きで強くなる、という瞬間は、やはりSEとBGMを入れたほうがテンションがあがる、というゲーム的真実をついでにさっき悟った。我が家では今、卵を3つぶら下げた南国風の植物とワンちゃんが熾烈な順位争いを展開している。)

[追記]

録画を見直す。

のどかに小鳥がピヨピヨ鳴いている徳川勢の本陣で近藤(もちろん芳正じゃないほうの)が若様と会話するシーンは音楽なし。その前の小競り合いに音楽があったのと対比する狙いであろう。雨が降ってきて、「退路を断たれましたな」と、いかにも彼らしい台詞を決めたところで「チャッツッツッチャ♪」がスタート。2分30秒で阿波守の作戦と両軍の動きを手早く説明してテーマ音楽が終わったところで、堺が本陣の裏に到着する。しかも草刈の「思い切り怖がらせてやるのじゃ」というセリフ&決めのアップはテーマ音楽が盛り上がったところに合わせてある。お手本のようによく出来た活劇映像の編集である。

もし舞台だったら、飄々とした正臣の台詞をオケピットの指揮者もしくは袖の舞台監督が固唾をのんで聞いて、台詞終わりがキューになって音楽スタート、という、決まれば快感が走る場面だと思う。こういう快感を知ってしまった人が舞台やドラマにのめりこむ。