人間の声

父が亡くなってから、ほぼ毎日、私は用事がなくても一人暮らしの母に電話を入れる。妹もそうしているようだ。

デモにかまけて学会の仕事を半ば放棄してしまった増田聡が、プライベートな携帯を鳴らさないとつかまらないところまでいってしまったことは記憶に新しい。

電話が現代社会で一定の役割を果たしてしまうと、メディア論の構想に何か障りがあるのだろうか? 電信と電話の入り組んだ関係について紙数を費やしたジョナサン・スターンの立場はどうなる、等の高尚なことを言うまでもなく、「隣りの葡萄は酸っぱい」と言いがちな理論家について、ジジェクあたりが何か気の利いた頓知を書き残していそうなものだが。

こういうときこそ、先行研究を虚心に読み直す、という基本に戻りたいものである。