日本音楽史と日本ゲーム史

[追記:ヴァナキュラーは方言ですね。恥ずかしい勘違いでした、が、本筋の話はこのまま通ると思うので、そのままにします。ヴァナキュラーなものは、「ある」けれど「自覚」されない。自覚するのは、むしろ、インテリのほうだと思う。そういうミクロな視点でも、やっぱり、日本文化論をインテリ批判に接続するのは無理筋だと思う。]

増田氏の言うことは雑駁でいいかげんだが、彼のほうに話題を振れば矛先がそちらにむいて、しばしの時を稼ぐことができる。吉田・増田連続体はそのような役割分担で防衛戦を張るわけだが、そんなチャチで青臭い作戦がいつまでも通用すると思ったら大間違いだと気付け、バカ、という話である。

民衆史観のなれの果てのような増田氏の日本音楽理解、日本音楽研究に関する底の浅い無知を完膚なきまでに叩きつぶす「世界音楽史のなかの日本音楽」の概説書が出来上がるのは、おそらくそれほど先のことではないだろう。中国文化圏における日本の中古・中世、大航海時代と日本の近世を踏まえて、近代化が何を変えたか、変えなかったか、ということを通史的・比較文化論的に記述するための素材は、既にほぼ出そろっていると思われるからだ。

(江戸末期から明治初期に外国人たちに日本音楽の情報提供をした者たちは、決して、立身出世の欧化主義から見放された「庶民」などではなかったはずで、増田氏の想定はお話にならない戦後民衆史観のプロパガンダです。そして明治の日本に比較文化・比較音楽の基礎を築いたのは、洋楽を導入したのと同じくエリート層であり、そこに思想的・階級的な差異を見いだすことはたぶんできない。)

吉田寛が今やっておくべきは、増田氏の酔っ払いの駄弁(そんなもので学生を説き伏せるのは下手するとパワハラですよ)を惰性的に利用する時間稼ぎではなく、ほぼ出現すると前提して差し支えないであろう21世紀の知的状況にふさわしい日本音楽史・日本文化史が実際に出てきたときに色あせてしまわない形での日本ゲーム史とはどのような姿をしているか、構想と見通しを立てることだろう。(自分では書かないor書けないとしても。)知的なコラボレーションとは、サッカーのパスがそうであるように、今そこにいる相手を直接利用することではなく、相手がベスト・パフォーマンスを発揮したときに到達しているであろう地点にめがけてボールを蹴ることだ。現時点で既に下り坂の控え選手とつるんでも仕方がない。「音楽の国」論の轍を踏むまい、と本気で思っているのであれば。