戦法としての多様性と効果としての多様性

近所の競技場に、いまは全部、龍の第三形態が君臨している。そろそろ飽和して皆さんたどりつくところへたどりついてしまったのかな、という感じがしますが、P は、おそらく、相互の得手不得手を相殺し合う多元的なジャンケンのように設計されているんですよね。だからおそらく、競技モードに入ったときには、何をどう組み合わせるのか、という作戦が要るんだろうと思う。で、競技(アレア)としては、チェスや将棋に似た何かになっていくのだろうと思う。

ヴァラエティに富んだ要素を自由に組み合わせる、というのは嫌いではないのだけれど(むしろ音楽や物語であれば、そういう傾向のものが大好物なのだけれど)、チェスや将棋はどうしても馴染めないんですよね。

他人の好き嫌いなど説明されても無意味だろうとは思いますが、どうやら、「勝つ」という単一の目的に向けて多様性を整流する、というのが、私にはダメなのかもしれない。

音楽をゲームと呼びうるのかどうか、よくわからないけれど、多様性を肯定できてしまうあたりが、音楽というのは、なかなかよくできているように思う。多様性の擁護へ向かわない音楽も、もちろん有りうるわけだが。