ゲーム内の時間とゲーム外の時間

Pは定刻に出現するので時報に使えるなあ、と私は思っているのだが、このゲーム内の想定としては、Pがいつ出てくるかはランダムである、ということになっているようだ。つまり、現実世界のいわゆる「物理的時間」(時計的時間)は、ゲーム内の時間(ゲームをプレイしているときにのみ流れると想定される)としてはランダムとみなされる。ゲームを開始してからどれくらい経過するとPが出るのか、「ゲーム内的」な体験としては、この説明もありかもしれない。

(「14:35にPが出現する」という設定は、14:20にゲームを起動した人にとってはプレイ開始15分後であり、14:35に起動した人にとっては、立ち上げたとたんにPの出現、である。)

移動距離をゲームが独自に管理するのも、「ゲーム内の時空」を閉じた世界とみなす想定からすれば、整合的なのかもしれない。時空を現実世界とリンクする想定だと、ゲームを起動していないときでも相棒は「私」と一緒に移動している、という風にもできそうだが、そうはなっていない。

ただし、そうすると、地図だけが現実とリンクしている、というのと話が整合するかどうか、ですね。ゲームを起動したときのみ現実が拡張されて、ゲームを閉じると拡張された現実から抜ける、という理解になるのかな。

ゲーム依存への対策として、こういうのは、どっちの考え方が有効か、という議論があったりするのだろうか。

ゲームを閉じればセカイが消える、というサバけた設定のほうがゲームに依存しにくいのか。(これだと、セカイを去りがたい依存者がゲームを閉じることができなくなりそうではあるけれど。)

逆に、ゲーム内の時空とゲーム外の時空がリンクしているほうが、ゲーム外と調和的なのか。(ゲーム内の存在がゲーム外に進出しそうな懸念はあるけれど。そして、Pが喧伝されたリリース当初は、AR というから、てっきりこっちの手法だと思われて、それで是非が議論になったりしたんだと思うのだけれど、案外、制作者サイドは、こっちの方向性には慎重であるようだ。)

なるほどこれは、「音楽的時間」「演劇的時間」をめぐる議論とちょっとだけ似たところがあるかもしれませんね。音楽の時空を音楽外に開くのか、作品として音楽の時空が閉じるのか。閉じたうえで、部分的に外部とリンクさせるのか等々。