流れる文字

楽譜の校正作業をしていて気付いたのだが、

accel. とか、pizz. とか、espressivo とか、という風に楽譜に添えられている文字たちは、紙の上に固定されてはいるけれど、楽譜というのは演奏しながら順番に読んでいくので、奏者の視線としては、「流れて」いる。だから、視線にひっかかりを感じさせることなく「流れる」ように、文字の位置や書き方を考えないといけない。

cresc. や f は、その指定が有効な音符との位置関係によってニュアンスが変わるし、con sord. や div. の指定は、その小節にたどりついてから目に入るのでは遅いので、通常、音符より前に書く。

そして、批判版だと注釈を入れる必要が生じたりするわけだが、これも、きちんとした「文」ではなく、「必要であればベルアップせよ」みたいに簡潔な命令口調のほうが、かえって読みやすいようだ。

音楽家は、「流れる文字」と日常的につきあっている職種なのかもしれない。

岩城宏之『楽譜の風景』という本がかつて珍重されたが、あの本にはこういうことは書かれていない。岩城は、鈍感で無遠慮、を強みに変えることができた時代の音楽家だった。中村紘子にも、そういうところがある。まあ、それが音楽の「戦後派」だ。