愚鈍と悪態

先述の cp10、下限へのぼうけんだが、初心者がいきなり極限値を求めるのはハードルが高かろうと思い、頭の上の数字が2桁のPを手元に大切に保管することにする。博士(とりわけ凡庸ならざる特異性を優先しがちな悪しき「人文」)に頼らないもうひとつのルートの開拓である。

「博士なる存在はアートを疎外するのではないか」という、凡俗だが根強い疑念が今も世の中にあるわけで、この疑念を腑分けするためには、一度凡庸さを見極めておいたほうがいいのだろうと思ったりもする。

特異性を抽出しているだけでは歴史・社会は見えてこない、というのは、ひょっとすると、社会科学の肝であったりするのかもしれませんね。

Pは色々妙な動きを見せる前、あるいは、ホームポジションに戻ったタイミングが一番つかまえやすいわけだが、いつどのような悪態を示して抵抗するか(最悪の場合には逃げてしまうか)というのは、いくつかのパターンがそれぞれに設定されているように見える(プログラミングされているのだから当然だろうが)。

ハトがこのタイミングでこういう動きをするときは何やっても逃げる、とか、次第にそういうサンプルが集まってくると、なにやら「決まり字」で百人一首をプレイしているような気がしてくる。

cp10が、その種の悪態から無縁な境地として設定されているのだとしたら、それはある種の「美」なのかもしれぬ(笑)。

cp10は、人々を深夜に無断で私有地に侵入する暴挙に駆り立ててしまうことがない(サードパーティ製の強力なレーダーでも、どれがcp10になるのか、たぶん予測できない)という点でも、なかなかよろしいのではなかろうか。第一形態は、概して相貌が好戦的ではなくサイズも小さいので、相棒として座りがいいとも言える。