集合知への失望

俺がこの分野の代表だ、と言わんばかりの態度で世に打って出られるので、でしたら、そちらさまのおっしゃることが理解できるように当方としても諸々態勢を整えてみると、あっちこっちが隙だらけでがっかり。というのは、行列の出来る人気店が、行列を作らせて平気な接客態度ゆえに顧客満足度が低いのと似ている。

AIのディープラーニングが人類を変える、という議論は、そもそものディープラーニングが集合知への期待の上に成り立っていると思われるわけだが、集合知に関して指摘される限界について、どうして口をつぐむのだろう。

おそらく、ものを使う人にとっては口が軽く情報が高速に流れる状態のほうが快適だが、ものを作る人の口が軽いと、むしろ次々問題が起きる。人間の寿命が無限であれば、そのように「口が堅い人」(特定の人物にのみ情報を伝える態度)と「口が軽い人」の差異は相対的だが、人間の寿命は100歳をほぼ越えないので、特定の人物のみにある情報が伝わったところで情報源の人物が死に、その情報を伝えられた人もまた、特定の第三の人物のみに情報を伝えて死ぬ……という連鎖が想定される。こういう状態は数学的にどのように定式化されるのか。直観的には、「口の堅さ」を地上から駆逐するのは不可能だと思われるのだが。

同じことの言い替えだが、情報は平衡に達する、と言う主張は成員が入れ替わり、情報が絶えず新たに生成・消滅する開放系についても成り立つのだろうか。閉鎖系の理論モデルが、開放系で、たまたま今は成り立っているように見えているだけ、ということはないのだろうか。

AIの実用化で何かが変わるだろうけれど、ポイントはそこじゃない感がある。何か大きな勘違いがあるのか、あるいは、途方もない努力で何かをごまかして信じ込もうとしているのだろうか……。