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三好達治から新声会へ - 中田喜直の戦後

「戦後の音楽」というと、戦前からのモダニスト(伊福部、深井、諸井など)から1930年代生まれの前衛のスターたち(黛、武満、三善など)への鮮やかな世代交代と価値転換が話題になる。片山杜秀の仕事は、長木誠司らが先行する評論・研究から継承した前衛音楽史観をひっくりかえしたところがあり、「ゴジラの伊福部」は今や音楽を越えてメジャーだし、戦前の側から戦後を捉える片山流の「逆張り史観」は、信時潔の再評価で成功裏に決着を見たと言えそうに思うのだけれど、実はこれも「戦前 vs 戦後」という構図自体を組み替えたとまでは言えないかもしれない。1920年代生まれの「戦中世代」が欠けているんですね。

大阪には1922年生まれの松下眞一がいるけれど、あの言動にはどうしても(失礼ながら)「色物」感がある。「戦中派」の最大の大物は、もしかすると、中田喜直かもしれない。

中田喜直は1947年に三好達治(最近では生前に消された戦争詩が話題になる)で歌曲に開眼したとされ、出世作「六つの子供の歌」は、柴田南雄や入野義郎の新声会で発表されている。そして本人は陸軍士官として航空隊に所属していた(最後は内地で特攻予定の若者を指導していたのではないかと推測されている)。

この先は仕事の文章に書きますが、西洋音楽史においてシューベルトが侮れない存在であるように、日本歌曲の作曲家は重要だと思う。そしてもしかすると、「日本のリヒャルト・シュトラウス」(=歌劇作家)を目指した山田耕筰よりも、むしろ、中田喜直のほうが、日本歌曲の本命かもしれない。

中田喜直について、堀朋平のシューベルトと同じくらいの分量と内容を備えた本を次の世代が書くべきなのかもしれない。(もちろん、海老沢先生が滝廉太郎を論じたように、堀さん自身が中田喜直に取り組んだってかまわないわけだが、シューベルトが「誕生」させたものに関心を寄せるタイプの人は、たぶん、ちゃんと調べたら中田喜直に興味を持つと思う。)