ザ・芸能界の表舞台

年長のキャラクターたちが続々と死んで消えていく大坂の陣前夜だが、

真田丸での人の死に方には3つのパターンあって、幻影を見ながら死ぬ芝居をカメラに収録される一群の人たちと、もう一方で、在りし日のスナップ写真のような映像に有働さんのナレーションがかぶって終わりになる人たちがいて、切腹する利休や三成はそのどちらでもなく腹を切る。だからどう、という解釈はないが、語りの構造が面白いなあと思う。閑話休題。

そしてそんな彼らが現役だった「関白太政大臣とよとみのひでよしである」の時代は、明らかにザ・芸能界でしたよね。小日向さんは、全盛期のフジテレビあたりにいそうな大物プロデューサーの生態をなぞっているように見えた。そしてそういう見立てだから、若手ひな壇芸人・伊達政宗のズンダ餅(感動的な名場面と思う)が成立したのでしょう。

で、まあその芸能界は、三谷幸喜が実際に体験した80年代の終わりから90年代がモデルだと思いますが(だから今をときめくなんとかKBの女の子には冷たい(笑))、そこでは、なるほど「裏」の飲み会の情報交換が描かれてはいるけれど、その一方で、皆さん、表舞台では正装して「本番」をちゃんとこなしていますよね。「表」が(薄っぺらい書き割りであったにしても)ひととおりちゃんとしている(していた)というのは、1970〜1980年代のマスメディア芸能(それより前からやっている中年老人がしかるべき役割を果たした)の特徴だったのかもしれないなあと思う。それはたぶん、財界に70年代以前からたたき上げてきた創業者世代のお爺さんたちが君臨していたのと平行する。それ以後のサブカルチャー目線に染まった80年代回顧では、この部分が抜け落ちてしまいがちな気がするけれど。