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誰が労働環境を適切に整備するのか、してきたのか?

全くの個人的な印象ですが、昔の日本のオケは、指揮者が振り間違えたら、ガタガタになって、あとで楽員が指揮者のことをボロクソに言うような団体だったが、今の日本のオケは、瞬時に全員が振り間違えを察知して、何事もなかったように演奏を続ける(後で「やれやれ」位は言うかもしれない)。僕は、エラソーでいながら自分では責任を取らない昔の楽隊気質がキライだった。つまり、今の日本のオケは、昔に比べて、ずっとプロフェッショナルになったということ。

という発言を見かけて、直観的に「嫌なものを見たな」と思ったのだが、1日考えて、こういうことではないかと思い至った。(考えがまとまってきたのは、今世間で話題の不幸な出来事と無関係ではない。)

この文章の書き手の仕事であるライター業に置き換えてみるといい。

全くの個人的な印象ですが、昔の日本の読者は、著者が書き間違えたら、ガタガタになって、あとで読者が著者のことをボロクソに言うような国だったが、今の日本の読者は、瞬時に全員が書き間違えを察知して、何事もなかったように読み続ける(後で「やれやれ」位は言うかもしれない)。僕は、エラソーでいながら自分では責任を取らない昔の読者気質がキライだった。つまり、今の日本の読者は、昔に比べて、ずっとプロフェッショナルになったということ。

これは、ないですよね? なるほどそのような読者のスルー力は凄いかもしれないが、読者のスルー力の上にあぐらをかく著者がいるとしたら、その人はプロじゃない。

書き換え前のオリジナルに戻ると、引用文では「ちゃんと振れない指揮者を誰が雇ったのか?」ということが問われるべきなのに口をつぐんでいる。

指揮者自身がオーケストラの経営者もしくは監督者として楽員との間に雇用・被雇用の関係(契約)があるのだとしたら、指揮者が適切な労働環境の整備を怠っている責めを負うのが当然ということになるだろう。もし、指揮者も楽員も、舞台上にはいない第三者(コンサートの主催者)との間に雇用・被雇用の関係を結んでいるのだとしたら、「なんであんな指揮者を連れてきたのか」ということになる。いずれにせよ、文句を言う楽員は、「エラソー」なのではなく、労働環境の不備が改善されるように正当な主張をしたに過ぎない。

ミステイクがあったにもかかわらず、そしてそのことに気付いているにもかかわらず、あたかもそんなものはなかったかのようにスルーする、というストレスフルな環境が常態になれば、それは、そのオーケストラが「上手くなった」のではなく、職場の問題点が実に風通しの悪いやり方で隠蔽されていることになりそうだ。そしてそのような隠蔽体質は、買い手市場で、その労働者には他に行き場がないというのであれば労働者にとっても、それを受け入れるある程度のインセンティヴがあるかもしれないが、売り手市場で、納得できないときには別の職場に移る選択肢があるというのであれば、ダメな経営者(もしくは指揮者)をのさばらせることにしかならない。

上の引用は、とってもデフレ・マインドに経営者の責任を不問に付す意見に見える。「最近の労働者は、従順でなかなかよろしい」みたいな感じがします。

実際には、「指揮者がミスをした」のか「楽員がミスをした」のか、当事者たち以外には容易に判別できなかったり、ミスや事故の原因が複合して特定の個人を責めることができない場合が多い。

もし、日本の指揮者やオーケストラが「上手くなった」としたら、誰の目にも明らかなミスを特定の個人が犯して、そのことで全体がガタガタになる、というような薄っぺらで脆弱な演奏をしなくなった、ということじゃないかと私は思う。そしてこの状態に到達できたのは、どこかのブラック企業と違って、ミステイクを隠蔽するような体質ではなく、ちゃんと楽員と指揮者が侃々諤々やり合ってきたからだと思う。

要するに、日本のオーケストラにおける指揮者は(外国人を招聘することが益々増えているので)大幅に、そして楽員のほうは(日本人が多いけれど海外の団体での演奏を経験した人たちが増えているので)漸進的に、「日本的な謙譲」とかが通用しない風に国際化しつつあるということであって、ブラック企業経営者のデフレ・マインドな太鼓持ちのレトリックを弄するのではなく、率直にそういう自負を語ればいいんじゃないか、そうしないと、頑張っているオケのメンバーに失礼じゃないか、と私は思う。私には、オーケストラの人たちは、今も(「エラソー」に見えたかもしれない昔も)与えられた条件で限りなくベストに近いことをやり続けているように見える。

(一方、音楽ライターの世界が、オーケストラにおけるほどの「国際化」による質の向上と堅牢な執筆態勢(編集・校正を含めて)を実現して風通しがよくなっているのかどうか、そこは少々疑問がないではないけれど。そして良好な労働環境というものは、構築するのに時間がかかるが、壊すのは簡単。流言飛語やいいかげんな憶測によって人間関係が脆く崩れることがあるのは、オーケストラも一般社会も同じだと思う。言葉を発する者の責任を、我がこととして改めて考えたい。)