スランプの今昔

何をやってもうまくいかない(実際にそうなのかどうかはともかく自己認識ではそうである)というような状態をスランプと呼ぶのだと思うが、何かを生活の糧にしようとしたら、どこかでそういう状態を切り抜けるその人なりのやり方を身につけてから世に出るのが通例である。

……という風に理解していたのだけれど、どうやら当世風の「つながり重視の社交」では、他責的な言い訳をひねり出し、他者を生贄にして、自分は悪くないし不調でもない、という風に強弁する手法があるようだ。

そのように責任をなすりつけられた側はたまったものではないが、パワハラが言われるようになって下位の者をイジめて鬱憤を晴らすことができなくなったものだから、反論が帰ってこない虚空にフラットな屁理屈とでも言うべきものを放って、それで憂さ晴らしをしたりするらしい。

「つながり社会」も御苦労なことである。

(以上、回答終わり)