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母をめぐって

「お前のかあちゃん、デベソ」

と囃し立てられた少年の母が本当にデベソだった場合、私達はどうすればいいのか、というような話を蓮實重彦が書いたのは、私の記憶違いでなければ、彼が凡庸と愚鈍の差異を好んで書いていた時期の田中角栄についてのエッセイにおいてだったと思うのだが、その政治家が所属した政党の職員の息子が、蓮實重彦を総長に選んだ教育機関に学んだのち、2016年に「オマエのかあちゃん……」という罵声をVR(とは何か?)に対して投げつけるのを目撃したとき、私達は、偶然を笑って見過ごせば良いのか、あるいは、輪廻転生風の因果を仏教めかして哀れむほうがいいのか、あるいは、精神分析風に下意識のうごめきを推測したほうがいいのだろうか。

今では中年になった自民党職員の息子は、「オレは人を役割・肩書きで見るなんてことは中二で卒業した」とうそぶくわけだが、その発言から、「中二以前」の、まだ人を役割や肩書きで見ていたのであろう頃の少年の姿を即座に想像して恐怖した私は、「オマエのかあちゃん……」という文言を「中二以前」と結びつけたくなってしまうのだが、そういうことは精神分析に任せよう。

中学生までの私は、「オマエのかあちゃん……」式のからかいの対象にしばしばなったような記憶があるが、その種のからかいに対して、基本的には「カエルの面にションベン」で通しており、そのことが、私をからかいたい少年たちのお気に召さなかったようで、これもまた、どうでもいいことである。