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符丁のTPO

小谷野敦が、落語家の楽屋の符丁を寄席好きのシロウトが通ぶって使うのは嫌なものだ、と書いていたが、落語だけでなく、劇場には、歌舞伎発祥で「八百屋」とか「ドンデン」とか、舞台関係者の符丁がある。日本だけがそうことをするわけではなく、おそらくオペラ用語の多く、alla zoppa とか lieto fine とかというのも、元来はオペラ関係者の符丁のようなものだと思われる。(Figurenlehre や Affektenlehre のような音楽修辞学は、イタリアの劇場の符丁をくそまじめなオペラ後進国ドイツがデータベース化したのだろう、と言われたりする。)

芝居の外題を短くするのも、それと同種の符丁だろう。歌舞伎にはそういうのがよくあるし、「コジ」(モーツァルト)とか「アカジン」(大栗裕)とか、オペラでもそういうことが起きている。

少数の技能保持者が緊密迅速にやり取りしないと幕は開かない、という状況でこうなっているのだと思う。倉庫からこの前の公演のときの道具を出してきて、と言うときに、いちいち「《罰せられた放蕩者またはドン・ジョヴァンニ》の仮面」とか「《コジ・ファン・トゥッテあるいは恋人たちの学校》の衣装」とか、という言葉が舞台裏で正確に発話されているとしたらギャグだ(笑)。

劇場とはそういうもので、短い符丁が流通すること自体に眉をひそめたり、この外題の略し方はこれが正しい、みたいに言うのは、シロウトが通ぶって符丁を使うのとは逆に、劇場の現場への観客の過剰介入ということになるだろう。(コンピュータプログラムの大規模な開発プロジェクトで、スーツ族が凄腕プログラマ集団に「変数・関数の名前の付け方」等で現実離れしたルールを押しつける、みたいな光景を思わせる。)

広瀬がちょろっと遊び感覚であげつらうのはギリギリオッケーな感じがするが、符丁の使用自体を「品性下劣」みたいに言うのは、お上品ぶった変な人だろう。

小谷野敦の父は時計の職人さんで、おそらくその種の符丁が飛び交う場に生きていて、小谷野はそんな父を個人としては憎んで私小説を書くのに、落語を語るときには、落語家とシロウトの線引き・間合いを上手に裁く。

そういうのに比べると、「アイミョウ」なんて言葉を使うのは品性下劣、と言ってしまえるクラシック音楽ライター業界の空気は、お上品ぶってはいるが、内実は軽薄で人情が薄すぎるかもしれない。

ただし、ドクターXが好んで描写するように、「ペラッペラ」であればあるほど組織の上や真ん中に吸い寄せられやすい、というのは、どこの業界でも同じではある。

(ちなみに、大阪音楽大学にはザ・カレッジオペラハウスという施設名を三文字につづめて呼ぶ符丁があるが、世間に発表するようなことではないので、どう呼ばれているか、具体的には書きません。それから、一方でそのような符丁をお客様や一般の方の目に触れる場所に出して平気、というのではお行儀が悪いわけですから、大学主催の公演のチラシ、プログラム等の作品名の表記については、音楽学の教員が全部校閲する、という体制になっているようです。)