21世紀を迎えるための思想史と概念史

社会主義運動は20世紀のニューメディアに期待するところが大きかったと思われ、そのせいでニューメディアをめぐる議論には、しばしば(イデオロギーとは相対的に自律して)社会主義運動由来の概念や思考法が入っているように思う。でも、その概念や思考法は、実は社会主義運動の発明品ではなく、別の文脈から派生もしくは発生していたりするケースが稀ではなさそうにも思う。

だから、

(1) 社会主義運動は、当該メディアの何にどのような期待を抱いていたのか、

という思想史と、

(2) その概念・思考法にはイデオロギーから切り離したときにどのような由来と効用があるのか、

という概念の地図もしくは歴史を個別に作っていかないと、いつまでも「短い20世紀」の尻尾を引きずることになり、安心して21世紀を迎えることはできない気がする。

社会主義運動を存続したい人はやればいいけれど、20世紀のニューメディアを歴史に引き渡すことなく人質に取るのは止めて欲しい。

聴覚論に取り組んだ Audible Past は、逆に、視覚と聴覚の関係という大きな枠組のアップデートを狙うことに性急で、概念や思考法における「短い20世紀」の吟味が甘いせいで使いにくい書物になった、と言えるように思う。あれは21世紀のお手本というより、21世紀の到来を遅延させてしまいそうな危険のある反面教師と見た方がいいんじゃないか。