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関西の80年代

ラグビーの平尾(1963年生)の追悼番組をさっきNHKでやっていたが、天王寺高校出身の岡田武史(1956年生)や京芸出身の佐渡裕(1961年生)が出てきた。晩年は神戸にクラブチームを作って内田樹(1950年生)とつきあいがあったようだし、同志社大から英国留学してというように「関西から世界へ」を目指した1980年代とその帰結がこの人の人生で、「楕円のボールは自由」というのがその原動力だった、というまとめになっているようだ。

こういう風に東京をスルーして生きるのがいいのかどうか、というあたりがこの人を眺めるときのポイントじゃないかと思う。阪神間とフットボールは相性が良い、ということだ。

(番組では先般の日本代表の活躍を平尾ラグビーと結びつけていたが、平尾自身は日本代表監督としてはあまりうまくいかなかったようだ。岡田のワールドカップ予選通過の采配をどう見るか、佐渡裕の活動をどう位置づけるか、平尾を語るとしたら、むしろ、このあたりとパラレルに見るのがよさそうな気がします。)

山田治生(1964年生←平尾と同世代)が平尾を語る理由と、でも今の姿は随分遠い感じがする理由が、なんとなくわかった気がする。他人の人生を勝手にわかった気になって申し訳ないが。

[追記]

私(1965年生)は、スポーツで言うと野茂世代だとなんとなく思っていたのだけれど、野茂英雄(1968年生)のような1960年代後半(ということは昭和40年代)生まれになると、英国留学した平尾のような「世界と言えばヨーロッパ」の発想が薄く、北米へ行っちゃう気がする。その意味で、山田さんとは、ヨーロッパとの距離感がなんか違うなあ、とも思う。

洛星の山田治生より上級の岡田暁生(1960年生)や浅田彰(1957年生)になると、さらにヨーロッパ志向が強く、下級生の大井浩明(1968年生)は世界中どこにいても大井浩明、という感じがする。何なんでしょうね?

凡庸な解釈ではあるけれど、オリンピック・万博・テレビなのだろうか?

オリンピック以前の日本を知っている日本人は「西欧的自由」に身を焦がすような憧れを覚えて、その最後が平尾。オリンピック以後の日本人は、そういうのが希薄で、ヨーロッパだってアホもいればカシコもいるのを知っているし、ヨーロッパの田舎者にアジアの都会人が理不尽な敵意を覚える、とか、そういうのは理解不能だ。

東京オリンピックと大坂万博は、21世紀にそれぞれもう1回やっておいてもいいかもしれない。リベラルなインテリはそういう事大主義に反対することになっているらしいが、巨大イベントをもう一度やるのは、くすぶっているものを表に出す好機でしょう。