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グローバル人材には間違いを恐れない豪快な正直を望む

人間関係においては、百発百中100点満点を狙うのは無理だ。人間は、他者に対して「黙って座ればぴたりと当たる」神通力を有しない。神通力は、定義上、神の業であり、人間のできることではない。

何かを間違えたときに、次は間違わないようにしよう、間違わないためにこうしよう、という風に「失敗から学ぶ」を過剰かつ神経質にやっていると、科研費の書類や共通一次のマニュアルみたいに戯画的な重装備で身動きがとれなくなる。(各種スポーツの「日本代表」がしばしば国際試合で守りに入るのは、これに似ていますよね。)

間違えたら、正直に謝って訂正して、次に進めば良いだけのことではないか。

私のミスを他人に指摘されたときに、その指摘をした者がどういう素性なのか、その人物は私にそのような指摘を行う資格があるのかどうか、と詮索したり、あるいは、私のミステイクは彼を深く回復不能に傷つけてしまったのではないか、等々と気を遣うのは、「正直に謝って訂正して先に進む」のあとで、余裕があれば考えればいいことだし、通常、その人たちにはその人たちの人間関係や環境がそれぞれにあるはずだから、そっちでよしなに物事が処理されるであろうと思うしかない。そこまで考えたらキリがない。

「間違わない」という第一の神通力と、「相手に常に好印象を与えたい」という第二の神通力を兼ね備えた超人を目指すと、たいてい、最悪にコミュニケーションがへたくそで人相の悪い人材が出来上がる。

(そしてもちろん、「間違えたら、正直に謝って訂正して、次に進め」は、コミュニケーションがへたくそであったり、警戒心が強すぎて人相が悪かったりする人にも適用される。人付き合いが下手な人、人相の悪い人は、それはそれでできることや居場所があるだろうから、それを見つければいいだけのことだ。そういう風に「墜ちた星」たちもまた、それぞれの人生を歩めばいいわけで。)

[ということで、今わたくしは、ますます二度目の東京オリンピックと二度目の大坂万博を待望する気持ちが強くなりつつある。右翼が夢想する国家間の武力衝突(における大勝利)や左翼が夢想するユートピアに向けた「回転」(revolution の語を中華風に「革命」と呼ぶのを私は好まない)が不可能であるらしいことは、ほぼ明らかなのだし、スポーツや文化の祝祭で経験値を高める、というのは、「文明化の過程」を歩むことを望むのであれば不可避なのではなかろうか。それなりに優秀な都市型知識人たちが、遊戯や遊民に着目するのも、たぶん、同じベクトルじゃないかと思う。]

文明化の過程 上 ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

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文明化の過程 下    叢書・ウニベルシタス

文明化の過程 下  叢書・ウニベルシタス