発言者の発言と存在

はたして両者を完全に分離できるのか。完全分離は、あまりにもポストモダンすぎないか。分離を標榜したとたんにその発言と発言者が丸ごと隔離されるのが落ちではないか。

存在実体を欠いた発言者という観念概念は一種のAIを思わせるわけだが、実在するAIはそのようには展開していない。それはおそらく、AIが開発途上だからではなく、AIとはそういうものではないからなのではなかろうか。

AIは発言と発言者の分離をおそらく完遂しない。完遂を夢想するのはAIではなく人間の側である。