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戦後的国際人にとって「日本は素晴らしい」と「すべて日本が悪い」は等価である

北米メディアもトランプ大勝利を予測できなかったのだから、日本のマスメディアが自分たちに都合にいいことだけ言う傾向をもっていようがいまいが、この件では関係ないよね。

2015年以来の政局では、何か起きるとすべて「安倍総理が悪い」ということにしたがる硬直したリベラルが揶揄されたが、2016年の国際情勢は、これまで「日本は素晴らしい」と言っていた人たちが、今度は同じ口調で日本の「ダメさ」を糾弾する滑稽な情景を演出することになるようだ。日本の「固有性」なるもので商売する立ち位置が失効しつつある、ということだと思います。

(ちなみに、東条氏が柴田南雄にいまいち乗り気じゃないのは、信時潔を警戒するのと同じで、民放業界人の官学嫌いに過ぎないと思います。東京芸大に行かなかった(たぶん入試で落ちた)武満徹や桐朋英才教育のホープ小澤征爾に肩入れするのとワンセットの心性でしょう。あれは、前衛実験音楽をどう考えるか、というような高踏的な美学の問題じゃありませんよ。)

P. S.

ところで、日本の音楽ジャーナリズムはいつまでミツコ・ウチダを持ち上げ続けるのでしょう。

私の耳(と目)には、彼女のテクニックは我流で音が悪く、しばしば礼賛されるアクの強いアーティキュレーションは、昭和30年頃(彼女が日本にいた少女時代)までの昔の日本の洋楽奏者の弾き癖が矯正されることなく21世紀まで生き延びたシーラカンスだとしか思えないのですが……。

聴けば間違いなく本物のピアニストだということがわかるフジ子・ヘミングがなんとなく色物扱いで、我流の内田光子が国際派のトップランナーとみなされるのは、まったく意味がわからないのですけれど……。家柄の違いでこうなるのでしょうか?