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話し言葉の制御

朗読劇における言葉が、音楽を伴う場どのように制御されているか、という話をしようと準備しているわけだが、そうすると、どうしても、書かれた文字ではなく、話し言葉の音声を聞いていただく時間が必要になって、なおかつ、これを受け止めて語るわたくし自身の説明の言葉をちゃんとした「台本」にしようとすると、私が私自身の話し言葉を制御する、というようなことになってくる。

恩師谷村晃はゲオルギアーデスに学んで、阪大の退官記念の「音と言葉」という題の論文集にドイツ留学から帰ってきた直後に寄稿したのが、活字になったわたくしの最初の論文なのだから、なんだか、そういう場所へ戻って来たということなのかなあ、「音と言葉」という問題を、理論と実践を串刺しにする「鳴り響く思想」みたいなところで考える学統で育ったということなのかなあ、などと、柄にもなく殊勝なことを思ったりする。

(大栗裕の音楽物語は、谷村晃の阪大での一番弟子、中川真が若かりし頃に打楽器で手伝っていたジャンルですから、蛇が自分の尻尾を食べるかのように、円環状になにかがつながってしまいそうな感触がある。)

この島は明治以後、口語体という、話し言葉にかぎりなく近いとされる書き言葉が標準になっているわけだから、どこかで一度は通らねばならぬ道なのかもしれない。

音楽劇のほうへさらに接近しつつあるようだ。