音楽演劇学の興亡

今は改組されてその名称がなくなったけれど、阪大文学部に美学科が設置されたとき、音楽学専攻は、公式には、山崎正和の演劇学専攻とあわせて「音楽演劇学講座」を構成していた。私は、履歴書的には「大阪大学美学科音楽演劇学専攻卒業」ということになる。(大学院は、美学科の上に美学専攻と芸術学専攻を置く構成で、音楽学は芸術学専攻に属したので「大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻博士後期課程単位取得退学」。)

「音楽演劇学」という学問があって、オペラやミュージカルや歌舞伎を研究するところだと思われることがたまにあって、そうじゃないんですよ、と説明していたが、思えば、中川真らがガムラン(影絵芝居ワヤンと結びついている)をやって、岡田暁生がリヒャルト・シュトラウスのオペラを研究したのは、「音楽演劇学」という学問があると誤解する世間に対して角を立てない賢い選択だったかもしれない。

1980年代に出た Neue Handbuch では各章がオペラの記述から始まっていて、1970年代後半にはドイツでも音楽学が「自律音楽/絶対音楽」を中心に据える態勢を脱しつつあったと思う。(『絶対音楽の理念』で自律音楽を批判的に吟味したダールハウスが Neue Handbuch の18、19世紀の巻を監修、執筆している。)長木誠司のブゾーニ、岡田暁生や広瀬大介のリヒャルト・シュトラウスはその流れだろう。宗教改革風の北米ニュー・ミュージコロジーに対して、欧州には反宗教改革風に音楽研究を内側から改編する動きが(新音楽や古楽や対抗文化とある程度リンクする形で)既にあったということだ。(オペラは、ドイツではミュンヘン、ドレスデンに伝統が根付いているように、おおむねカトリック圏の芸能です。)

東大美学から1990年代に渡辺裕の聴衆論が出て、その弟子の吉田寛が2000年代に「音楽の国ドイツ」批判を展開した。今思えば、やはり東大美学出身の庄野進らが1980年代にジョン・ケージを論じて、礒山雅が音楽評論家として古楽の商業化を擁護してワーグナー協会機関誌を長年編集したのは、玉川上水の国立音大が本郷の東大美学の出城として機能した、ということだったのかもしれない。

東大美学勢は、バブルとその残り香のような財界のパトロンたち(サントリー財団やいずみホール)を味方につけて、商業出版で日本国内の「ポスト教養主義亜インテリ」な読者層(典型的には高校教師あたりか?)に歓迎されて今日に至っているが、音楽研究者の反応が薄かったのは、上記のような音楽研究の動向(それこそグローバルな)から見て、何を今さら、と思わざるを得なかったからだろう。(少なくとも院生時代の私は「何を今さら」と思っていた。)

「音楽演劇」という発想は、教養主義的な絶対音楽論とその批判というこの島国の「コップの中の嵐」の外部に音楽研究を開く可能性がありそうなのだが、国内をお江戸の東大が押さえてしまった結果、長木誠司は本郷ではなく駒場の教授になって、岡田暁生は京大人文研という学生から切り離された場所に隔離されて、オペラ論は民間のほうがさかんで、研究者は海外へ流出して今日に至っている。

礒山雅、渡辺裕と二代続けて東大美学出身者が日本音楽学会の会長に選ばれて、その下では、殿様がだれになろうと何も変わらない楽理幕府直轄の御家人衆のような人材による「権威付け」のシステムが黙々と稼働している現状は、このような構図を踏まえて、その功罪を考えるべきだろう。

「グローバル化」という世間で通りのいいスローガンを掲げても、これを東大美学が横取りして、ローカルな権威付けのエネルギーに変換するシステムが、既に出来上がっている。だから、東大美学は「劇場」がわかっていない、とか、「声」を尊重して何が悪いか、とか、そういう方向から攻めることになるのです。

(吉田寛は、「音楽の国」シリーズへの私の批判に対して、twitter で「劇場が議論に十分に組み込まれていない」ことを認めた。東大美学では、演劇の人であった佐々木健一をその弟子筋が二代にわたって理論の上で潰してしまう「父殺し」が無意識的に進行しているかのようだ。そのような「父殺し」風の劇場軽視がどこにどのような帰結をもたらすか、それを見極める作業は今後の課題として残されている。「声」の問題については、まだこちらも攻めあぐねており、彼はポストモダン風の音声中心主義批判を言い続けて大丈夫だと高をくくっているようなので、おそらく、ここが次の戦場になるだろう。)

P. S.

とここまで考えて、そういえば学振PDに採用された私の研究課題は、カール・マリア・フォン・ウェーバーの著作と実践から劇場の音楽論を組み立てることだったのを思い出した。資料にアクセスする態勢を整えることができず、そのうちウェーバーとベルリオーズの効果の美学についてドイツで博士論文が出てしまってウェーバー研究は頓挫したけれど、再起動した私の脳味噌は「劇音楽作曲家としての大栗裕」などという観念を出力しているのだから、人間の考えることは10年やそこらで変わらないようだ。