言論の貴賎

仕事で話すことに疲れた者はネットで他人の話を聞くことを喜び、聞くことに疲れた者はネットで話すことを喜ぶ。

だが話すことと聞くことの間に貴賎はない。貴賎という価値を導入したがる者は、高貴ではなく、高貴に憧れる成り上がりである。