学校と空港の間のお伽噺に囚われた時代

月9 101のラブストーリー (幻冬舎新書)

月9 101のラブストーリー (幻冬舎新書)

織田と有森と江口の役柄を愛媛の「同郷」という風に言うのでは不十分で、3人はただ同郷なのではなく、同じ学校の同窓生(同級生?)なところが「月9」的なのではないかと思う。郷里といっても学校であって家族ではない。就職したあともツルんでいる同窓生(同級生?)の絆のほうが、ロスから来た女の子との関係よりも強かった、という話、もしくは、東京という街を学校的な人間関係で分節している人々が帰国子女とうまくつきあえなかった話に思える。

成田空港の国際線のエスカレーターがこの種のドラマの定番のラストシーンだったわけだから、当時の「トレンディ」は、学校と空港の間に花開いていたのかもしれない。

(DCブランドは空港から輸入されるのだし、空港から飛びたつ飛行機は、学園ものと並ぶオタク好みの題材なのだから、学校と空港の間という場所は、ネアカな遊び人からネクラなオタクまでを包摂する「ニッポンの想像力」のインフラ的舞台装置だったのかもしれない。「月9」の前史や周囲には、学園ものや国際線のパイロット/スチュワーデスがよく出てくるし。)

91年の2月(「東ラブ」放映中)に修士論文を提出して、直後に留学が決まって、8月からドイツに行って、「ぼくは死にましぇん」のことは翌年帰ってくるまでよく知らなかったのだが、今頃になってようやく事情が飲み込めた。

留学や海外勤務や帰国子女を、学校と空港の間に架かる虹のようなメルヘンのフィルタ越しに眺める感性が実在したと考えていいのでしょうか?

留学や海外勤務や帰国子女が、当人たちの預かり知らないところであたかもメルヘンの住人であるかのように見られていたのだとしたら、そのようなメルヘンを高校生くらいで背伸びして視聴していたのであろう90年代の大学院生たち(長じてゼロ年代の論客たち)が頑なに内向きで、ヴァーチャルとかイデオロギーとかということに過剰反応するのは、理由のないことではないかもしれず、でも、今となっては、「君たちはいったいいつになったメルヘンへのコンプレックスを解消できるのか」と呆れられても仕方がない気がします。

(たぶんこれは、J-POPをモデルにしてブランディングされた今日のJ-CLASSICとその末裔の問題でもある。)