老人と鎖国

「日本のオーケストラは40年間たえず上手くなり続けている。こんな素晴らしい国は他にない」

という文言をSNSで見かけて、自分のなかで何かがプツンと切れた。クラシック音楽業界は、文壇と違って外国人の作曲家や演奏家と日常的に接触しているから原理的に「鎖国」できないだろうと思っていたのだが、こういう文言を本気で発することのできる人は「鎖国」してますよね。音楽団体も聴衆も、こぞって「今日のコンサートの素晴らしさ」だけをひたすら書く最近のSNSの作法は、そのような「鎖国」脳が大勢を占めていることを示していると思う。既存のクラシック音楽業界は、老人と攘夷鎖国の志士たちが結託して、うなずき合うことで小さく生き延びようとしているようだ。

(寺岡清高は、しばらく見ない間に、かつての文学青年風の志みたいのが消えてしまって、オーケストラのほうも、やたら大きな音ではっきりくっきりしか考えていなくて(←外山雄三を楽団のトレーナーに迎えたことの未熟で残念な副作用に思える)、あんなやかましいだけの演奏はダメだと思う。まるで、ハイフィンガー奏法によるピアノ演奏みたいだった。ハイフィンガー系の奏法を独自に進化させたユジャ・ワンが喝采を浴びる時代なので、アジアのクラシック音楽は、今後こういう風な混乱の時代に入るのかもしれず、大阪響のこの演奏は、その予兆だったりするのだろうか。)