酔わない歌唱の可能性

私は聴き手を冷静に突き放す表現を歌唱の様式として確立させまいとするかのような態度はおかしいと思っている。そういう詩があるし、それがモダニティというものだろう。

酔わない詩、という概念がないと、東アジアの私たちはいつまでも唐詩の圏外に出られないのではないか。酒飲みの限界を悟れ、である。