「世界の国からこんにちは」

日本で非英語圏から来た者どうしが英語で意思疎通する状態を、あたかもこの島がまだ経験したことのない未來の光景であるかのように思いなすのは、1964年の東京オリンピックや1970年の日本万国博覧会を知らない1970年代以後生まれの底の浅い歴史観、いわば、「万博を知らない子どもたち」の未成熟な実感のなれの果てなのだろう。リンガ・フランカで話す者が存在する状態は、さして驚くほどのことではないし、この島を揺るがす未曾有の事態ではないと思う。

ただし、1970年の事業が「日本万国博覧会」を名乗って開催され、それにもかかわらず「大阪万博」と通称されて、そのあとに筑波や愛知が続く国内地方都市の地域活性化行事の出発点であるかのように意味づけられていったのは、「国際社会」の担い手・ホストは国家ではなく都市である、という理念をわからなくする「ニッポン」の詐欺的な半世紀と言うべきかもしれない。もう一回東京オリンピックからやり直して、それと平行する形で、大学という国家とは違う組織を「国際化」の拠点として再編すべし、というのは、それなりに面白い構想・提言ではあるかもしれない。