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音楽家の宮廷政治と哲学者のイデオロギー批判、強いのはどっち?

ワーグナーのくだりは、宮廷に深く食い込んで劇場を建ててしまった音楽家(思えば上田城を徳川に作らせた真田のようだ)と、彼に粘着するニーチェ(ポストモダンの源流のひとりかもしれないイデオロギー批判の人ですね)では、政治力が雲泥の差である、という話が面白い。

一方、ビスマルクを再評価して、「もしウィルヘルム2世が拡大政策に転じなければ……」と歴史にifを導入するのは、どこかしら、関東軍の暴走を食い止められたら大日本帝国は滅びなかったかもしれない、と想像するのに似ている。そのような「敗戦国のif」でドイツの保守的なインテリと意気投合する脈絡というのは、たしかに今もあるかもしれないけれど、そういう日独交流はどうなのだろうと思わないでもない。

吉田秀和とシュトゥッケンシュミットの連帯のほうを好ましく思ってしまうのは、戦後近代主義者に過ぎるだろうか。

帝国のオペラ: 《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》へ (河出ブックス)

帝国のオペラ: 《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》へ (河出ブックス)

追記:

後半でトゥーランドットやヴォツェックのようなドイツ帝国崩壊後のオペラを語ってしまうのだけれど、そうではなく、ヴォツェックを書くことになるアルバン・ベルクなどの次世代の人たちが帝国末期=第一次世界大戦をどのように過ごしたか、という記述を厚くしてその後を暗示するシナリオにしたほうが、「帝国のオペラ」というタイトルの本の結末としては座りがよかったかもしれない。

近年、岡田暁生が京大人文研の第一次大戦についての共同研究(=大戦争100年企画)の枠内で披露した「戦中期の音楽」論に広瀬大介がどう絡むのか。期待しながら読み進めたが、広瀬には正面対決の準備がまだ整っていなかったようだ。

ひょっとすると、世紀転換期のオペラを時代背景込みで順に解説する原稿が先にあって、「帝国のオペラ」というタイトルは編集者・出版社と相談しながらあとで付けられたのかもしれないけれど、このタイトルはあまりにも魅力的で、名曲解説集であることを許さないくらい内容と論の運びを拘束する言葉、大坂城落城にも似た帝国崩壊の渦中で何が起きたのか、それを直視するように書き手を強いる言葉のような気がします。実務肌のオペラ通にこういう仰々しいお題を期待してしまうのが2016年の時代状況ということか。