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武満徹のサクセス・ストーリーの読み方

例によって小野光子ははっきり書いていないけれど、バラバラに提示された証言を組み合わせると、こういうことだったように思える。

  • ストラヴィンスキーの1959年の来日は大阪国際フェスティバル(朝日新聞社)の招聘だが、ロバート・クラフトが同行し、タークイをはじめとする複数の在日米人と事前にコンタクトを取っていたようだ。再独立からまだ6年しか経っていない日本の楽壇には「アメリカの影」が射しており、ストラヴィンスキーはそのルートを利用したということだろう。そして彼らのすすめもあって、来日の翌日には早速、鎌倉を観光した。
  • アポをとるべき人物として黛敏郎、武満徹の連絡先を事前に知らされており、鎌倉在住の武満徹が呼ばれたが、彼らの当時の年齢、立場を考えれば、ちょうど大物研究者の観光案内に院生が借り出されるようなものではなかったかと思われる。(記者会見の通訳など、公式行事のスタッフは、もっと年長のしかるべき地位にある「大人たち」が担っており、彼ら若手の出る幕はなかった。だからこそ、外山、黛、岩城は、N響のコネを使って、こっそりエキストラに潜り込んだのだろう。)
  • 武満徹は、呼ばれたのでストラヴィンスキーと鎌倉で落ち合うが、当時の日本人たちが大作曲家をオフタイムに放っておくとは思われず、既に「大人」の接待要員が別途手配されていたのではないか。そして武満は場違いでお呼びじゃない感じだったのではなかろうか。ドナルド・リチーから「この若者はあなたと同じ職業ですよ」と紹介され、武満はそのことに感謝したそうだが、こういう居心地の悪い場所に呼ばれた「若手」が、こうした一言に「救い」を見いだすというのは、経験的に納得しやすい状況だと思う。
  • そしてストラヴィンスキーは、のちに改めてタークイらから、日本の作曲家たちの楽譜や録音をあれこれプレゼンされて、そのときに「弦楽のためのレクイエム」を聴き、ああ、あの隅っこのほうにいた若者か、と再認した。それが「あの小さな男が」云々の発言だったのではないだろうか。

伝聞とミスティフィケーションによって流布された「神話」の「真相」としては、このあたりが落としどころのような気がします。

(それにしても、川島素晴が「レクイエム」の楽譜についてエクス・ムジカで書いたことを、遺族側はいまも快く思っていないようですね。筆写譜をめぐる小野光子のコメントは、名前を挙げずに川島のことを言っているとしか思えない。水面下で足を蹴り合うのは不幸なことです。)

武満徹 ある作曲家の肖像

武満徹 ある作曲家の肖像

追記:

アレックス・ロスがアメリカの音楽家を「invisible man」と形容したが、武満徹のシンデレラ・ストーリーは、半ば意識的、半ば無意識的にそんなアメリカの(ヨーロッパから見て)「invisble」な前衛運動を反復しながら、そのような反復に北米が、いわば「兄貴分」としてお墨付きを与えていく過程だったんだな、と思う。

「若い日本の会」で江藤淳や石原慎太郎と一時行動をともにしながら、初期の作品に、ほぼいつも「元ネタ」がある根無し草状態であることなど、そういう構図で説明するのがよさそうな事柄が次々出てくる。

そして思うのだが、「兄貴分」である北米はともかく、ヨーロッパの作曲家たちには、武満徹の生前から、このあたりのカラクリが丸見えだったのではないだろうか? 「国際的成功」の検証は、そのあたりが鍵になりそうな気がします。

追記2:

「60年代の武満徹はキレキレの音楽を書いて良かったけれど、70年代半ばからマンネリに陥った」という世評があるけれど、これは、実験音楽華やかなりし頃への転倒したノスタルジーのような気がする。評伝のなかに武満徹の自作についてのコメントが挿入されると、「この人なにを浮ついたこと言ってはるの?」と苦笑してしまう。武満徹の音楽用語の使い方は、事実ベースの評伝の文脈に置いて読むと、ポストモダン批評における科学数学用語の使い方と同じくらいインチキ臭いことがわかる。

日本では60年代に「コンテンポラリー」(笑)にアートが流行って、人文のポストモダンがさかんに言われるようになったのは70年代から80年代だが、ポストモダンの出所のフランスの人たちが旺盛に仕事をしたのは60年代なのだから、同じ臭いがするのは偶然ではないと思う。時代がずれているように見えるのは、浄土教が鎌倉期、禅が室町期に流行ったけれど、大陸文京にそのような前後関係があるわけではないのと同じことだろう。

そして武満徹が「海外での受賞」や「イベントでの成功」を勲章に国内で売れていくのは、ロック・ミュージシャンの成り上がりに似ている。

(権威主義とは無縁な自由人、というキャラクターで売っていたが、武満徹は60年代にオーケストラの大作で注目されたわけで、「テクスチュアズ」(東京オリンピックで初演してユネスコの賞を得る)〜「ノーヴェンバー・ステップス」(ニューヨーク・フィル委嘱作)〜「アーク6部作」(初のソロアルバム「武満徹の音楽」でお披露目)という三段跳びは、ロック風に「ビッグになる」ベクトルだと思う。オーケストラル・スペースというイベントは、まるで、武道館コンサートみたいだし。)