罪悪感につけいる人生

商売人が「金儲けして何が悪いか」とネオリベ的なメンタリティで生きるようになったことでメセナは滅びた。高度成長期には、企業人に営利追求への罪悪感があったから、文芸・批評誌に金を出したのだろう。

というような荒っぽい文言が東浩紀の「ゲンロン」に書いてあった。

事態はそれほど単純ではなかろうとは思うが、とりあえず、東条的なものは、今なお、誰かの罪悪感につけいることで生き延びようとしていると言えるかも知れない。「岸田繁には、ロックミュージシャンがクラシック音楽の縄張りを踏み荒らすことへの罪悪感があるに違いないから、そこを突けば退治できる」と東条は思ったのだろうが、今はもうそんな時代ではない。