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ワーグナー・チューバは芸術音楽の「短い20世紀」を準備したか?

「短い20世紀」と言うけれど、芸術史の20世紀は、政治史の20世紀よりさらに短く、そこで提示されたアイデアは数行で要約できそうなくらい貧弱だったのではないか。それにもかかわらず、百花繚乱に豊作であったかのような体裁を整えることができたのは、諸民族の音楽やフォークロア、大衆音楽を取り込む回路を巧妙に組み立てたからではないか。20世紀のアートを「技術」と呼びうるとしたら、それは閉じた「作品」の精度の問題ではなく、外部と接続する回路の巧拙にこそ「技術」が発揮されたのではないか。

とりあえず、オーケストラという装置に関して言えば、パリの人たちが民族音楽風のアイデアを投入して、ウィーンの人たちはフォークロアのアイデアを入れるのを好んだと言えそうに思う。ガムランのリズムの堆積はアンサンブルのシステムを更新するためのモデルを提供したのだろうし、20世紀の合奏音楽の編成が小さくなるのは、知的な意味づけを括弧に入れると、村の楽隊に接近しようとしているように見える。

マーラーのオーケストラにおけるバンダ(別働隊)は姿が見えず手の届かない天上の響き、舞台上に陣取る特殊楽器は俗世ですれ違い得る異界・異物・異人、と考えるとうまく整理できそうだし、世紀転換期の合奏音楽における「特殊楽器」の異化効果は、20世紀の合奏音楽における「特殊編成」に継承された、と考えると、話をスムーズに組み立てることができそうだ。

(特殊編成の極北に思える打楽器アンサンブル(ヴァーレーズの「イオニザシオン」とか)は、あらゆる楽器をメトロノームの支配下で「リズム楽器」化するミニマル・ミュージックを経て、ガムランに接近していくわけで……。)

そういう風におおざっぱな見取り図を描いてみると、それじゃあ、マーラーの一世代前のワーグナーが特注して、使徒ブルックナーがうやうやしく後期作品に降臨させた「ワーグナー・チューバ」はどういう位置づけになるのか、気になってきた。

あれは、マーラー以後のオーケストラにおけるような「特殊楽器」(マーラーのカウベルやマンドリン、チャイコフスキーのチェレスタ、ビゼーのアルト・サックス)と同列に「特殊」と呼べるのか。それとも、ヴァルヴ・システムを積極的に導入したようなオーケストラの近代化なのか。あるいは、サン=サーンスが大英帝国アルバートホールの委嘱で、教会のオルガンを世俗オーケストラと共演させて、ハープでは足りないところをピアノで増強したような「世界の統合・総合」のために不可欠な特別な声だったのでしょうか。