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ケルトの深度

リバーダンスの発端になった1994年の7分間のパフォーマンスの映像を見た。ダンス・コンテストのテレビ中継が世界的なヒットの発端だったんですね。

短い20世紀がバレエ・リュスの「春の祭典」ではじまったとしたら、21世紀はリバーダンスで幕を開けた、と言えるのだろうか?

東西冷戦の終結で欧州の「周縁」の意味が変わって、21世紀は他民族多言語のヨーロッパ共同体へ向かったと考えれば、中東欧のクレズマーやロマの音楽が見直されるのと同時期の現象かもしれないし、欧州のケルト・ブームは北米のアイリッシュにとっても他人事ではなかったはず。1997年の映画「タイタニック」にもケルトがフィーチャーされていましたよね。テーマ音楽はエンヤ風に、と発注されていたそうだし、1994年の7分間のリバーダンスがケルトの水の精の手を動かさない足だけのダンス(ケルトの伝統的なスタイルだと説明されるが、孤独で束縛された女性に見えるのは否めない)で始まって、彼女がエネルギッシュな男性と出会い、群衆のなかに迎え入れられる構成は、キャメロンが1997年の映画に組み込んだローズとジャックの物語とかぶりますね。

ただし、「ケルティックなもの」が白人社会を越えた意義をもつのかどうかがよくわからない。ジグのペンタトニックとヘミオラがどの程度に「根源的」なのか、これもよくわからない。むしろ、リバーダンスは、「演歌は日本の心」に似た「発明された伝統」なのでしょうか? リバーダンスは2017年現在どういう枠組で語られているのだろう。