「新世界」と「俗謡」

かつて『音楽現代』に書いたことだが、私は、「新世界」交響曲でドヴォルザークはブラームスに見いだされて以来長らく封印していたプラハ時代のワグネリズム(生前に未出版だった第5番までの交響曲に認められるような)を別の形で再開したのではないかと思っていて、先日、大阪音楽大学音楽院の講座でこのことをお話させていただいたのですが、

その講座が終わったあとで、大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」の印象的な冒頭部分の元ネタは「新世界」だろうと不意に気がついた。

大栗裕は、生前の大学の管弦楽法の授業で、自作にはしばしば元ネタがあることを告白しており、それによると、吹奏楽のための小狂詩曲の冒頭のティンパニーのロールはグリーグのピアノ協奏曲のパクリ(言われてみればそのまんま)であり、神話の冒頭の六連符のパッセージは、ムソルグスキー「展覧会の絵」のこびとの低音の六連符を高音域に移して異化するアイデアだったらしい。

だとしたら、大阪俗謡による幻想曲の冒頭、ピーッと甲高く笛を吹いて、そこに弦楽器が不協和音で重なって、打楽器が高音から低音へ急降下するアイデアにも、何らかの下敷きがあっても不思議ではない。たぶん「新世界」第1楽章の、低音弦楽器と木管楽器が作り出す沈鬱な静けさを破る突然のフォルテが元ネタだと思う。ドヴォルザークでは、闇を切り裂くようなヴァイオリンとティンパニーの連打を木管楽器の和音で受け止めるが、大栗裕は、中低音から甲高い高音域へ、という音の方向、弦→打楽器→管楽器という音色の配置を逆順にして、甲高い高音域から低音への落下を管楽器→弦楽器→打楽器という楽器配置で実装したと考えれば、「大阪俗謡による幻想曲」が「新世界」交響曲を踏まえつつ組み替えて出来上がった、と説明できそうだ。

音楽学では、この種の影響関係を論証するときに、楽譜が似ている、というだけではダメで、作曲家がその前例を知っていた/創作時に意識する環境にあったと推測できる根拠を見つけないといけないことになっているが、これもなんとかなりそうだ。

「大阪俗謡による幻想曲」は1956年春に初演されるが、作曲は前年末から同年初めにかけてであった可能性が高い。そして、現存する自筆譜から、

  • 1955年夏 朝比奈隆の翌年のベルリン・フィル演奏会への出演決定
  • 1955年秋以後 「大阪俗謡による幻想曲」の最初の草稿と「管弦楽のための幻想曲」作曲
  • 1956年1〜2月 「管楽器と打楽器のための小組曲」(ディヴェルティメント第1番)作曲
  • 1956年3〜4月 「大阪俗謡による幻想曲」完成

という順序だと思われるのだが、「管弦楽のための幻想曲」が初演された大阪労音の1956年1月例会では、あわせて、「新世界」交響曲が演奏されている。つまり「大阪俗謡による幻想曲」は、連日「新世界」をホルン奏者として吹いている時期に作曲された、もしくは構想が練られたことになる。

(ただし、「管弦楽のための幻想曲」の作曲・上演と、「大阪俗謡による幻想曲」の最初の草稿(そこに既に冒頭部のアイデアが書き記されている)のどちらが先か、ということは、自筆譜から確定できない。1955年に既に「大阪俗謡による幻想曲」の作曲がはじまっていたとしたら、1956年1月に「新世界」を演奏したのは偶然の一致に過ぎないことになる。「大阪俗謡による幻想曲」の自筆譜には、最初の草稿を大幅に書き直して完成した痕跡があり、この書き直しが「小組曲」以後=1956年2月以後であることは大栗裕自身の証言から確実であり、また、最初の草稿の和声等の様式は「管弦楽のための幻想曲」に近いのだが、これが「管弦楽のための幻想曲」の前に書かれたのか、後に書かれたのか、ということまでは特定できない。)

「大阪俗謡による幻想曲」の主部が天神祭の地車囃子と生國魂神社の獅子舞囃子を組み合わせた「大阪の夏祭り」の音楽なのは本人も認めているけれど、序奏をどう考えればいいのか、前からずっと腑に落ちない感じがあった。重要なのは、「新世界」が元ネタだと確定できるかどうか、という事実認定ではなく、フォークロア風の主題を組み合わせた管弦楽作品に謎めいた序奏を付けるのはドヴォルザーク=国民楽派に著名な先例があったということだと思う。

チャイコフスキーの序曲類にも似たような構成の曲があると言えそうだし、バルトークの管弦楽のための協奏曲の第1楽章の序奏は、「国民楽派」を踏まえたモダニズムなのかもしれない。そしてバルトークのオケコンが書かれたのは、大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」の約10年前だ。それほど前のことじゃない。ドヴォルザークやチャイコフスキーのナショナリスティックなオーケストラ作品には、序奏=宵闇/主部=夜明けと形容できそうなイメージの型があり、1945年のバルトークや1956年の大栗裕は、その型を採用したんだと思う。

ただし、「新世界」の第2楽章以後については、「ハイアウサの歌」にもとづくオペラの計画があって、その素材を流用したと言われているが、第1楽章もその線で説明できるのか、私はよく知らない(既に研究がありそうだが)。でも、「大阪俗謡による幻想曲」の主部についても、最初の主題をホルンが吹き、中間主題が木管楽器、第2主題がソリスティックなフルート(ピッコロ)であるところは「新世界」第1楽章とよく似ているし、祭りのリズムにおけるヘミオラの多用は「新世界」交響曲第3楽章のアメリカ化されたフリアントと似ていなくもない。