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異議申し立てを「怠惰な不作法」と同一視する「勤勉なる編集委員会」の礼節と言論封殺

この単純なサイクルの中に多数の必要業務があり、マニュアルが存在するとはいえ、そこに書ききれない膨大な経験知が蓄積されていたこと、そして煩雑に思われる諸々の手続きにはそれぞれに意味があることを改めて認識しました。
(小塩さとみ「編集後記」『音楽学』62/2、2017年、164頁)

現在の状態を「煩雑」と感じるか感じないかという主観に帰着させてよいのか、というのが第一の疑問。「それぞれに意味がある」ことは、「(観察者の態度を)改める」までもなく「認識」できるのではないか、というのが第二の疑問。

その「意味」を「認識」したうえで、具体的な実装に改善の余地があるのではないかと主張するのは正当な異議申し立てである。正当な異議申し立てを、あたかも「煩雑で面倒くさいことを嫌がる」行為、すなわち「怠惰」と、対象をしっかり観察するべく態度を改めれば解決することなのにそれをしない「不作法」の組み合わせとみなし、怠惰を勤勉に、不作法を礼儀正しさにそれぞれ置き換えればすべては従来通りでいいかのように言いくるめるのは、論点をはぐらかすことによる言論の封殺・黙殺であろうと私は考える。

(学会誌本文の執筆者たちの研ぎ澄まされた言語運用を目の当たりにすると、「編集後記」もまた、しかるべき識者の査読を受けて、その言語を鍛えるべきではないかと思えてくる。それは、「煩雑」に思われるかもしれないが、「必要な手続き」ではないだろうか? 今求められているのは、上の引用が示唆するような「怠惰→勤勉/不作法→礼節」という後進国の啓蒙・文明化を連想させる規律・躾けの徹底ではなく、「勤勉」と「礼節」を「聡明」と「効率化」に粛々と置換することだと思う。自力でそれがかなわないのであれば、第三者の介入が必要ではないか。)