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日本における Nationalities と Nationalism

「有事」という言葉が、特定の思想信条の人たちのジャーゴンではなくなって、実際に「箏が有る」状態になってしまうと、この島に住む者にとって、Nationality の定義はどうしても一部変更を迫られるわけですよね。「団」や「連」を組んでいる方々にとって、その成り立ちや定義に関わる Nation のありようが変わってしまうことになるかもしれないわけだから。

Nationalism をめぐる過去十数年のこの島での議論の盛り上がりは、そういうことを準備する上で意味があったことになるのでしょうか。

そして例えば、尹伊桑や白南準について、この島では、今後、誰がどのようなスタンスで語り、取り扱うことになるのでしょうか。

伊東信宏さんが旺盛に論じていらっしゃるようなバルカン半島、中央ヨーロッパの音楽文化の複雑な襞は、中央ヨーロッパで Bundesrepublik と Demokratische Republik を隔てる壁が取り払われたが故にせり上がり、顕在化したところがあるわけですよね。

東アジアでは、それから四半世紀以上経っても複数の人民共和国が存続していて、ひょっとすると中央ヨーロッパにおけるリゲティやクルタークと比較して考察する意義があるかもしれない音楽家や芸術家の動きを語ることは今も難しい。

この状況もまた、しかし動く、ということになるのでしょうか。