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変数と観察

「空の範疇」とは、要は数学の解析で言う変数 variable の設定のことではないか。中性子の予想は、まさにそういうことですよね。データの解析において設定された変数(あるいは代数方程式で言う未知数)を裏書きする現象があとから発見された、と。(電子や中性子は五感でキャッチできないので、科学哲学上の議論を巻き起こしてはいるけれど。)

そういう手続きに empty の語が導入される文脈は、ちょっとよくわからない。ヒトが解析アナリシスにおいて新たな変数を導入したり補助線を引いたりすることができるのは、空の範疇が知性にアプリオリに装填されているからだ。ギブソンが言うアフォーダンスもこれを指し示す。と言うようなニューサイエンスの基礎論なのでしょうか。

逆に、どう解析するか、ということを後回しにして、人はどんどん観察してデータを蓄積することがある。

失われた20年は、複数の島宇宙にデータが渦巻いていたから動き過ぎないクールな理論が要請されたが、巧みに動いてデータを獲得する技、何かを動いて取りに行く態度か不要になったわけではなかろう。

空の範疇とデータの過剰の両方が揃わないと、知・科学は回らないんじゃないかな。

(前に少し書いたリバーダンスの話を舞曲史の授業の導入に使おうと準備しながら、ふと、そういうことを考えた。理論と観察・フィールドワークの関係のイロハを話そうと思うのです。手付かずのフィールドというユートピアを期待できない21世紀の状況を前提にして。)