他の都市のオーケストラの大阪来演

広島交響楽団の音楽監督が秋山和慶から下野竜也にかわって、お披露目の大阪公演があった。金曜の夜のシンフォニーホールでブルックナーの8番。色々な意味で大阪のオーケストラの最近の路線の逆を突く形になっていて、新鮮でした。

まず、大阪のオーケストラは、大阪フィルやセンチュリーが定期の2日公演をはじめて、2日のうちの1日は土日の昼間にやることが増えているわけですね。その結果、ウィークデーの夜は週に5回あるけれど週末は2日しかなくて、しかも、(本当にこれが有効な判断なのかどうかわからないけれど)給料日以後の月の最後に定期演奏会をやりたがるので、週末の同じ日にシンフォニーホールとフェスティバルホールといずみホール、さらには京都のコンサートホールやロームシアターや滋賀のびわ湖ホール、兵庫の芸文で公演が重なることが増えている。しかも、年度予算を消化するべく公共施設は3月に公演をやることが多いので、3月の週末は大変なことになっていた。

広響の公演がウィークデーの夜になったのは、本当は週末にやりたかったのに週末は大阪の地元団体に押さえられていた(もしくは自分たちが自分たちの地元広島で別の公演を予定している)、ということだったのかもしれないけれど、結果的に、昔ながらのウィークデーの夜公演になって、実際に行ってみると、やっぱり、都会のクラシックコンサートにはナイトライフが似合う、かえってこのほうが落ち着いて音楽を楽しめて、いいんじゃないか、という気になった。

しかも他のオケの公演が手薄な月の中旬は、他と重ならないから行きやすい。

(福島周辺は、全盛期に比べると、ホテルや放送局がなくなって寂しくなったけれど、それなりに新しいお店もできているようだし、終演後は梅田に出たっていいわけですしね。)

広響は、定期演奏会の大阪公演という位置づけで、11月にもまたシンフォニーホールに来るらしい。(ストラヴィンスキーの例の新発見の曲を追加でやるらしい。)

そういえば、京響は随分前から年に一度大阪で演奏会をやっているし、讀賣日本交響楽団も年に数回来ますね。山形交響楽団はいずみホールに来る。下野竜也は、讀響と契約していた頃、このオーケストラと大阪公演をやったこともあったと記憶します(聴きに行くことはできませんでしたが)。

N響の地方巡業は放送局主催の独自ルートなので、何がどう動いているのか外部からわからない状態ですが、他の国内都市のオーケストラの大阪公演が次第に増えつつあるようです。

オーケストラにとって、同じ演目を何度も再演することは、経営・労力の面でも、音楽を熟成させるという意味でも、色々メリットがありそうだが、地元の街で同じことを何回もやったら飽きられそう。大阪フィルなどは、2〜3年に一度同じ曲を再演するくらいのペースでレパートリーを回しているように見えるけれど、これも十年二十年続くと、いつも同じ、と思われかねないですよね。他の都市に遠征するのは、そういう意味で、うまいアイデアだよなあと思います。

(国内にオーケストラの数が少なかった頃には、東京のオーケストラも大阪フィルもあっちこっちに巡業していたわけで、オーケストラという事業体は、ひとつの街に拠点を置きつつ、その街のなかで自己完結するには規模が大きすぎるのかもしれませんね。)

で、結果として、10年来、「大阪に4つもプロのオーケストラがあるのは数が多すぎる、統合しろ」という無責任な声がずっとあったわけだが、今起きていることを眺めていると、実は4つでも足りないくらいの多様性が求められているのではないか、という気がしてくる。広島や山形や讀賣響が、そういう、地元のオケがくみとることのできていない需要を満たしつつあるんじゃないか。

かつて大阪フィルで修行して、讀賣響と一緒に来阪した経験のある下野竜也が、広島響と契約したとたんに大阪公演を積極的に打つのは、偶然ではなさそうに思えますね。

お客さんを囲い込んで、手を変え品を変えおもてなしして逃げられないようにする、というだけでは、一定の水準を超えられない限界に達する。そういうことをすり切れるまで続ける「負のスパイラル」にはまりこむと、その先は「希望は戦争」(そうすれば街の人口・住民が劇的に変化する)みたいな極論になるのでしょう。ひとつの土地に特定の作物を休みなく植え続けると、土地がやせるようなものです。(農家の生まれの母がよく言っている。)土地がやせたときは、土を入れ替えないとダメですよね。

とはいえ、オーケストラの場合、お客さん=街の住民の入れ替えは不可能なので、お客さんに自分たち以外の団体を楽しんでもらいつつ、自分たちは他の街へ出て行くことになる。そういうことなのかな、と思います。