ギリシャのポリスあたりを参照しながらナショナリズムをリベラルの側から批判的に吟味するときには、そういう視点からやるのが常道だったような気がするのだが、
だとすると、19世紀のヨーロッパの音楽文化でいえば、ワーグナーでナショナリズムを考えるというのでは不十分で、リストのようなコスモポリタン(その信奉者が提唱した「新ドイツ派」ではなくリスト本人)に焦点を当てるのがよかったんじゃないのかなあ、とふと思う。
「オレはフランツ・リストの名前は断じて口にしない」といわんばかりの傲慢気質のほうが「失われた20年」にふさわしい態度であった、ということはあるかもしれないけれど……。
ここ数年、大学の授業や社会人向け講座でオーケストラ(とその楽器)のことを主に色々考えてきて、この仕事も継続しますが、これに加えて、今年は、久々にピアノ音楽について、まとまったことをお話できる巡り合わせになりそうです。