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計画立案

いつまでも気が若い中堅大学教員さんたちの言論は同じ所をグルグル回ってだんだん退屈になってきたし、ポケモンGOは♂♀ペアでだいたい揃ってやることがなくなってきたし、今年は演奏会に多めに行ければと思う。

ここ数年で、日本のプロのオーケストラの定期演奏会の配布物は、どこももはやペラペラの紙を束ねたものではなく、分厚く立派に製本されるようになった。これは、ある意味で歴史上の特異点かもしれないと思うので、Konzertführer/Program Note とは何なのか? 歴史と国際比較を5年か10年かけてやれたら面白いかもしれないなあと思う。たぶん19世紀にはチラシ以外の配布物を毎回作ったりはしていなかったはずで、Konzertführer は独立した書物として別に存在した。今起きていることは、オーケストラ文化が西欧から北米や東アジアに流れ着いて100年が過ぎた末の(もはやその先がなさそうな)終着点ではないかという予感がある。ヨーロッパの石造りの建物を音で潤すものであったと思われるオーケストラが、東アジアのはずれに来ると、関係者が大変な手間暇をかけて紙をやりとりする営みに変貌したわけだ。

(「東条の登場」(奇しくも駄洒落だ)は、毎月こんな分厚い印刷物の準備をしなければならない羽目に陥っているオーケストラ事務局の現状と無関係ではないと思う。東京基準の画一化をグローバル化と誤認する、という現象が、てざわりのいい上質の冊子、という、まことに東アジア的な具体的形象に結実している印象がある。)

その一方で、関西の洋楽史は、関西における音楽批評の歴史と系譜をまとめておいたほうがいい頃合いかもしれない、というドメスティックな思いもあります。

計画なので、どれがものになるか、やってみなければわかりませんが。