「モオツアルト」再考

小林秀雄のモーツァルト論は、道頓堀で天啓のように交響曲40番の終楽章が聞こえて来る、という書き出しからして通俗だ、ということになっている。私もそう思っていた。

「ニッポンの批評」のはじまりなのかもしれない柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦、三浦雅士の座談会でもケチョンケチョンに言われたし、たしかに、こういう文体で音楽批評を書くのは恥ずかしい。吉田秀和のデビュー作「主題と変奏」は、小林秀雄を強く意識して書かれたに違いないが(モーツァルトは音階の人だ、というエッセイが小林秀雄の「かなしみは疾走する」の向こうを張ったアンチなのは明らか)、もはや吉田秀和が亡くなったときには、そういう経緯をばっさり切り捨てて、「吉田秀和こそが日本の近代音楽批評の創始者」みたいな扱いになっていた。

でも、それじゃあ小林秀雄が「空耳」したモーツァルトが誰のどういう演奏だったのか、戦前のSPレコードで考えると、リヒャルト・シュトラウスかブルーノ・ワルターだろう、ということになるみたい。で、実際に確認してみると、指揮者としてのシュトラウスがすっきりしているのはもちろん、ワルターも、戦後アメリカでの録音などとは大違いに戦前の演奏は鋭いですね。

モーツァルトの40番をヴァレリーなどと関連づけて故郷喪失のモダニズムの主題で語るのは、そういう演奏を前提にしているのだとしたら、牽強付会とは言い切れないかもしれない。

そんなことも踏まえながら、土曜日はモーツァルトの40番のお話をさせていただくことになっています。